読書感想文

  中原みすず『初恋』を読んで

 何か、大きな権力に対抗したいと思う人の気持ちは、よくわからない。ただ自分が馬鹿なだけで、その権力が何であるかということすら、よくわかっていないだけなのかもしれない。しかし、それは私だけではないだろう。
 日本の学生が、大きな権力に対抗しようと躍起になった時期があるらしい。しかし、中学校で日本の歴史について少し勉強したが、そのことについては『学生運動』の一言でまとめられている。彼らがどのような空気の中でどのようなことを考え、どのような行動をとったか、教科書の文面から読み取ることはできない。私たちの親の世代(あるいはそれより少し上の世代)からみれば、自分たちの青春時代であった学生運動全盛期も、私たちの世代かみれば、明治時代や大正時代と大して変わらない、昔の話である。
 しかし、その少し昔の年代が、最近人気である。愛知万博では映画『となりのトトロ』に出てくる古い家屋が再現されたり、漫画『三丁目の夕日』が映画化されたりしている。私たちが暮らしている世界と同じ時の流れの中にあることを感じられながらも、見たこともない、そしてこれから見ることもない不思議な世界だ。
 この本はそんな世界が舞台だ。まだ高層ビルがない新宿、若者が浸るジャズ喫茶、そして学生運動。そういった情景が特に強調されているわけではないが、物語の随所に私たちの知らない時代が表れている。
 主人公みすずは、家庭環境に恵まれず、友達もほとんどいない。そんな中、ジャズ喫茶で、初めて仲間と呼べる人たちに出会った。女優を目指す人、学生運動に講じる人、そして静かに何かを考えている東大生岸だ。岸はみすずに、現金輸送車から三億円を盗む計画を伝え、手伝ってくれるように頼んだ。岸はみすずにとって、恐らく初めて想いを寄せた男性だ。彼は他の学生のように学生運動に手を染めることはなかったが、心の底で静かに権力に対抗することを考えていた。みすずは、岸の頼みを快諾した。恐らくそこに、岸のような権力への対抗意識はない。みすずは、ただ岸と一緒にいる時間だけを求めていたように思える。
 強奪の具体的な計画は全て岸が立て、みすずは岸の計画を実行するだけだった。予行演習は二人で綿密に行われた。そこにみすずが求めていたものがあった。
 計画の実行は、みすず一人で行った。予行演習と違い、側に岸はいない。みすずは今までに無く寂しい思いをしながら計画を実行したが、岸に会いたい一心で、見事計画を成功させた。
 岸とみすずは、事件後、江ノ島へドライブに出かけた。岸は、自分が想いを寄せている女性がいることを語った。岸に肩を触れられて心地良さを感じながらも、みすずはその相手が自分であることを認めようとしなかった。その心地良さが消えてしまうのが恐かったのかもしれない。みすずも岸も、互いが互いのことを好きでいて、それをわかっていながら、その想いを伝えられずにいる。
しかし、次に二人が会ったときには、岸はガキだと言って女扱いしなかったみすずに対して、「ずっとこのまま生きようか? ふたりでさ」と言い、それに対して惚れている女に悪いと岸の手を振り払ったみすずは、「本当? ふたりで? 冗談じゃなくて? なんか嬉しいよ」と言う。好きだと言葉にしないながらも、二人は互いの気持ちを認め合っていた。しかし、それ以降、岸はみすずの前に現れなかった。
 大学受験が終わり、みすずがジャズ喫茶に行っても、昔の仲間はもういなかった。学生運動は徐々に制圧され、大学を卒業して社会に出る者も出始めた。事故や病気で命を落とす者もいた。
誰もがいずれは大人になる。大人になる過程で得るものがあり失うものがある。みすずの場合、それは岸を初めとする仲間たちだった。そしていずれは、その失ったという記憶さえ失う。
青春時代は得るものが多い時代だから色々なことに励め、と大人たちの多くは言うが、それだけではないことをこの本は語っている。失うものが多いからこそ、得るべきものを得る意味があるのかもしれない。失うことばかりでない青春を送りたい。

初恋

初恋