映画「世界の中心で、愛をさけぶ」

 「世界の中心で、愛をさけぶ」の映画を見てきました。
 原作本に感動した私は、ものスゴク期待して見たのですが、その期待は見事に裏切られました・・・・・・。
 まずストーリーが少し違う、どころかキャラクターの設定や時代設定が原作と見事に違うことに違和感を感じます。
 原作は1990年ごろですが、映画では少し古く、1986年となっています。しかし、出てくるボートはおととしくらいに発売されたモデルだったり、駐車場に止めてある車は最近の車種だったりと、詰めはかなり甘いです。それに、バブルが崩壊した1990年ごろなら、何とか我々の世代でも想像できるのですが、それより前となると、今の若い人は想像するのが難しいのではないでしょうか。
 話は原作にはほとんど登場しない、朔太郎が大人になり、律子という女性と結婚間近なところから始まります。柴咲コウ演じる律子は引越しの際にあるカセットテープを見つけ、それに涙し、置手紙を残して失踪します。大沢たかおの朔太郎は、偶然にも台風中継から(!)律子の失踪先がアキとの思い出がある四国であることを知り、一路向かいます。
 そして朔太郎はそこで律子を探すかと思いきや、高校時代の恋人であるアキとの思い出(というより妄想に近い)に浸り始めちゃいます。
 ここまできてやっと、高校時代の朔太郎とアキが登場しますが、このふたりのキャラクターも原作とは少々、解釈が異なるようです。
 朔太郎に森山未來というのはよいキャスティングだと思います。ジャニーズ系の美形が長澤まさみとイチャイチャしてると、オタク輩がイライラしかねませんが、適当な顔(失礼)の森山未來なら気持ちよく見れます。しかし、どうも原作とのギャップが拭えない。原作の朔太郎は「ニュートン」の少しオタッキーな話題にすぐ持ち込みたがる少年ですが、映画の朔太郎はバイクで学校に通い、陸上姿のアキに鼻の下を伸ばす変なヤツです。
 アキ役の長澤まさみもなかなか好演。でもやはりキャラクターに違和感が。映画では成績優秀、運動神経抜群の何だかスゴイ人になってます。この設定自体に問題はないのでしょうが、どうもただの「ブリッ子」にしか見えない・・・。朔太郎のことを「朔ちゃん」ではなく「サク」と呼び捨てですし。ちゃん付けするか、愛称であっても呼び捨てするかでは、かなり印象が違いますからね。以前、「黄泉がえり」で見た長澤まさみとはエラく印象が違うので、演出側の指示だと思うのですが、どう見ても「優等生」には見えない。言うことは生意気で小恥ずかしいことばかりなので、「早く死ね〜」とかあくびをしながらふと思ってしまったり。
 原作で好きな夢島のシーンも、かなり薄っぺらな印象。朔太郎は大木といろいろ策略を練るはずが、映画ではいきなりボートで登場(前にも書いたとおり新式)。朔太郎はアキが水着に着替えるところで相変わらず鼻の下を伸ばしながら見たり、それに対してアキはモンローか何かの真似か、足を岩に乗っけて見せてみたり。しかも、中山雅史も驚いた脅威の長い足を持つ長澤まさみには、これがサマになってるからすごい。
 夢島のシーンと言えば、聞こえるはずの無い廃墟での電話の音、それを追って見た蛍がアキに送ってきた何かの合図、洞窟の音を聞くために止めたエンジンが壊れるなど、アキの死を予感させる不気味なシーンが数々あったのですが、それは全てカット。安っぽい廃墟ホテルのセットの中、朔太郎はアキにキスすら拒まれて終わります。
 その次の日、夢島でアキはぶっ倒れます。島から戻ると、アキの父親がアキを迎えに来て、朔太郎に一発かましてからアキを病院に運びます。(こんな父親の娘を無断でオーストラリアなんかに連れてこうとした朔太郎)
 森山未來の演技はここまでもなかなかですが、長澤まさみの演技はここからが見所です。
 白血病のアキはブリっ子を卒業したのか、今にも死にそうな声で観客の心をつかみます。
 そしてついに"ハゲ"に! こんなおバカ映画のために頭を丸めた長澤まさみには脱帽ですが、とにかく見ていて痛々しい。この人、大物になりそうですね。
 本作で何よりも気になったのは、オーストラリア行きを最初に提案したのがアキではなく朔太郎だということ。自分で行くと言っておいて、いざアキが倒れたら「助けてください!」だから、たまったもんじゃない。
 どうも映画の朔太郎は、18にならないと結婚できないことも知らないし、台風の日でも飛行機が飛ぶと思っているおバカさんなようです。
 空港へ着くと観客の思ったとおり、飛行機は欠航します。しかし、おとなしくしていればいいものを、おバカ朔太郎は「どうしてもオーストラリアに行かなきゃならないんです!!!」と職員に掴みかかります(ほんとバカ)。
 しかしそんなことをしている間に、アキがついにまた倒れます。
 あわてて駆け寄る朔太郎。ようやく引き返す気になった朔太郎ですが、それでもアキは死にそうな声で「連れてって」と。朔太郎は「次があるよ」とようやくまともなことを言うのですが、アキは「次はないの・・・」と。
 たぶんここで、長澤まさみの演技力を駆使して最高の涙を誘うのが筋だと思うのですが、そこまでの行程があまりにもおバカなので、逆にしらけます。
 そしてアキ死亡。
 ここまであえて、大沢たかおの朔太郎と律子の話は出しませんでしたが、実際にはこちらがメインで、今まで書いてきたのはその合間に挿入される程度です。
 大沢サクはなぜか律子と一緒にオーストラリアにあるアボリジニの聖地へアキの遺骨を撒きに行きます。
 しかし途中で車がパンクし(!)、その辺の丘で捨てます。(たぶんそこも聖地のひとつだったのでしょうが)
 そこでカットが空撮に変わって本編終了です。(実はこのとき、パンクした車がなくなって「こいつら置いてかれた」とか思ったのですが、そのあたりは記憶が定かではありません)
 全体的に、原作の構成を見事にぶち壊し、テレビドラマに毛が生えた程度のベタベタ演出での進み方には呆れました。
 とにかくBGMがうるさい。何かあればすぐBGM。登場人物が喋っていようとBGM。
 前日に北野武監督の「HANA-BI」をビデオ鑑賞していて余計にそれと比べてしまったのが悪かったのかもしれませんが、とにかく観客を泣かせたい魂胆が丸出しで、見ていてイライラしました。
 ここまで書いてくると、柴咲コウの律子の存在がワケわかりませんが、一応この物語に必要な理由は語られています。それを承知でこのキャラクターは邪魔です。
 それに柴咲コウの演技はどうも好きじゃない。下手なわけではないのですが、どうも魂がこもっていないというか、感情移入しにくい。映画では主役級の出演は控えて、テレビドラマへの出演や歌手活動に専念したほうがいいのではないでしょうか。
 長々と乱文を書きましたが、最後にまとめると森山未來長澤まさみの演技はよかったです。
 特に長澤まさみはよい。ブリっ子アキは嫌でしたが、これは演技だと思われるので、その点を留意するとその演技力は並ではない。
 特に頭を丸めた後の演技はまさに涙ものです。(結局泣きませんでしたが)
 芸能人としては美人の部類に入るほうではないですが、角度によってブスに見えたり美人に見えたりするので、その辺もすごいです。
 テレビドラマへの出演がほとんどないようですが、それはそれでいいと思います。日本は映画俳優とテレビ俳優がごっちゃになり過ぎていて、映画館で俳優を見る楽しみが減ってしまっていると思うのですが、この人にはまだそういう楽しみがあります。
 原作が大好きなので、映画もストレートに嫌いにはなれないですが、それにしても最低ランクに入りますね。
 100点満点中40点程度。